戦後の歴史学の主流はしばらくマルクス主義歴史学だった。
そのマルクス主義歴史学の牙城だった歴史科学協議会(歴科協)。
その機関誌は『歴史評論』。
同誌9月号が「文献史学と日本古代国家形成史の新展開」
という特集を組んでいる。
これを読むと、
「確かにマルクス主義歴史学は終わった」
と実感できる。
「各地の国家の諸形態に対するモンテスキューの
飽くなき関心を継承しつつ、それを理論化したヘーゲルの国家論、
それをさらに生産関係を軸に展開させたマルクス・エンゲルスの
国家の起源に対する説明は、日本の戦後歴史学における国家形成論に
とって強靭な座標軸として機能し続けてきた。
しかし、1980年ころからは、
価値の多様化のなかで当該の理論を前提にすることは
難しくなっている。
定説的な理論的基盤が失われた現在、
日本古代国家形成論というテーマについて総体的に論じることは、
従来にもまして困難になっている」
(北康宏氏「国家形成史の過去と現在」)
「東アジア古代史が考古学・文化人類学と
連携しつつ新たな国家形成史を発信することは、
けっして不可能ではない。
わたしたち歴史学(文献史学)は、
エンゲルス理論から早々に脱却し、
国家形成史研究における考古学からの誠実な
呼びかけに対して真摯に向き合うべきである。
その際に重要なのは、史料に対して厳密な批判を加え、
精確な読解をおこなうという自らの学問上の特性を生
かすことであろう」(関野淳氏)
「(マルクス主義歴史学の基本文献とされて来た)
エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』…はすでに
致命的な問題点を指摘されている。
…そのため考古学では1990年代以降…文献史学でも
2010年代に入ると新たな国家成立史を構築する試みが
開始されている」(廣瀬憲雄氏「5世紀をどう評価すべきか?」)
「文献史学における古代国家論や国家形成史論といった議論は、
ひところ停滞気味であったことは周知のことと思う。
この方面への提言は、もはら考古学分野の研究に負うことが
多くなった…何よりも、論理的に歴史の流れを把握しようとする
マルクス主義歴史学の、またそれの変容論理を日本や東アジア世界に
適合させようとする手法の方法論的限界を、日本古代史界が認識した
ことが大きいのだろう」
(中村友一氏「国家成立期の氏族・部と系譜」)
…今昔の感を禁じ得ない。